ヒルトン宮古島から東平安名崎までのドライブルートを調べていたら、Google Mapsで気になるスポットが目に入りました。
大立大殿みゃーか
うぷだてぃうぷどぅん みゃーか
歩道の大半を埋め尽くす岩。
正体はお墓。
何かのオブジェなら気にしなかったけれど、巨大な墓が歩道にあるのは気になる。現場の雰囲気を感じたくて見に行ってきました。
《みゃーか》とは大きな石を積んで造られた風葬墓のこと。宮古諸島に見られる様式で14世紀頃から造られるようになりました。大立大殿みゃーかは、大立大殿〈うぷだてぃうぷどぅん〉のお墓という意味です。
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大立大殿みゃーか

人物像
15世紀に宮古島を治めていた有力な首長が『大立大殿』〈うぷだてぃうぷどぅん〉です。優れた政治手腕を発揮しつつ、宮古島への愛も強い人物でした。歩道上にお墓を残すくらい、宮古島の歴史において重要な存在だったようです。
1.優れた外交力
当時勢力を伸ばしていた中山王府(後の琉球王国)と良好な関係を築き、宮古島の発展に尽くした。
2.先見の明
後に宮古島の歴史で重要な役割を果たす『仲宗根豊見親(玄雅)』に、政治や統治を教えたのが大立大殿。7歳の頃にその器量を見出し養育、17歳の頃には家権を委ねて政務を執らせた。後に仲宗根豊見親は宮古第一の首領となる。
3.深い宮古愛
自らの墓を平良西側の岩壁に。没してもなお、津波から宮古島を守るためにこの場所を選び遺言としたそうです。(口伝による)
ちなみに、仲宗根豊見親のお墓も残っています。大立大殿よりも遥かに大きくて、こちらも異様です。

なぜ歩道の上?

実は、大立大殿みゃーかの位置は建造当時のまま変わっていません。そこがまた興味深いところ。
遺言によって、みゃーかは海岸の崖沿いに建てられました。つまり、この辺りはもともと崖だったということです。それが時代の移り変わりとともに、海は埋め立てて港(平良港)となり、崖は削られて道路が整備されることになります。
でも、没してもなお宮古島を守りたいという大立大殿の願いを無下にすることはできません。開発と保存の両方を叶えるため、お墓は残し、周りの土地を掘り下げて道路にする工事が行われました。
一見すると、歩道に台座とお墓を置いたように見えます。でも実際は、周りが低くなってお墓が飛び出ただけでした。
大立大殿みゃーかの画像


大立大殿みゃーかは石室と蓋石から成り、どちらも大きな琉球石灰岩が使われています。
おおよそのサイズ
- 石室…150cm×240cm×80cm
- 蓋石…150cm×220cm×15cm
造られた当初は、さらに石室の周りに複数の巨石を置いて外郭が設けられていたそうですが、現在は取り払われていました。
割れた蓋石、隙間が多い石室。風化による損傷も見られました。


以上、大立大殿みゃーかでした。
リピートするような場所ではないですが、『みゃーか + 歩道のお墓』という稀有な光景を見ることができて良かったです。
施設情報
| 営業時間 | 24時間 |
| 定休日 | なし |
| 住所 | 沖縄県宮古島市平良字下里108番地26(地図) |
| 電話番号 | なし |
| 入場料 | 無料 |
| トイレ | なし |
| 駐車場 | なし 隣りに広い有料駐車場あり |
| 滞在時間 | 5分 |
| 売店 | なし |
| 公式HP | 宮古島市役所【市指定:史跡】大立大殿みゃーか |
| 備考 | – |
楽しい旅行になりますように!
訪れた他のミャーカ
豊見親の墓
仲宗根豊見親のお墓。宮古島特有のミャーカと本島の横穴式石室が融合した唯一無二の史跡。同じ通り沿いにあります。

スムリャーミャーカ
来間島にあるミャーカ。ミャーカらしい形で残っています。

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Article author いそぽん
Photo & Experience 2025.11


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