レンタカーで琉球八社巡り。「天久宮(あめくぐう)」へ行ってきました。歴史を調べてから行けばよかったなぁと感じた場所です。
今回は、天久宮の様子、御朱印、駐車場などの情報を紹介していきます。
参拝時間(滞在時間)の目安は30分です。
琉球八社
琉球王国(1429~1879年)時代に、王府から特別の扱いを受けた8つの神社の総称。波上宮・沖宮・識名宮・普天間宮・末吉宮・安里八幡宮・天久宮・金武宮からなり、真言宗寺院と併置されている。首座は波上宮。祭神(さいじん)は、安里八幡宮が八幡神、ほかの7社は熊野権現。
天久宮 あめくぐう | |
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入場料 | 無料 |
御朱印 | 300円 ※書き置き 不在時は波上宮で拝受 |
参拝時間 | 自由 社務所 9:00-17:00 |
定休日 | なし |
住所 | 那覇市泊3丁目19-3 |
電話番号 | 098-863-3405 |
公式HP | amekugu.jimdosite.com |
駐車場 | 無料 4台 ※詰めれば6台 |
所要時間 | 約30分 |
祭神 | 【主神】熊野三神 (伊弉冉尊、速玉男尊、事解男尊) 弁財天 天龍大御神・天久臣之姫大神 泊龍宮神 弁天負泰彦大神 |
ご利益 | 厄除け、縁結び、子孫繁栄、延命長寿、子宝、五穀豊穣、家内安全、工事安全、悪縁切り、学問ほか |
別当寺 | 天久山聖現寺 ※天久宮となり |
天久宮の駐車場
レンタカーでの観光旅行は、事前に駐車場の情報を調べておくのも重要です。沖縄の観光スポットは狭い道が多かったり、駐車場が分かりにくかったりします。天久宮も変わった駐車場なので、現地に着くまでは不安でした。
実際はこんな状況です。
以前は、鳥居の横に看板があって、車は鳥居をくぐるしかありませんでした。現在は鳥居の横から駐車場に入れるようになっています。鳥居に当たる人が多かったのかもしれませんね。
奥の4台分は余裕があります。線は引いていないので、端から詰めた方が後から来た人に優しいです。
地元の人は慣れているのか、御嶽の手前や鳥居のすぐ後ろに駐めていました。
普通に駐められるのは4台、強引に駐めればMAX6台です。
駐車場の前の道路は狭めですが、譲り合えば乗用車で行き詰まることはありません。ダンプカーが来たときは大変そうでしたが。
満車の場合に予定していたのは、タイムズ泊3丁目(有料)です。それか、長く居続ける場所ではないので、近くのファミリーマートでコーヒーでも飲みながら、10~15分後に再訪するといいかもしれません。
天久宮の御朱印情報と施設(トイレ)
駐車場の横にある階段を下りると社務所があります。御朱印は社務所でいただけます。御朱印代は300円。書き置きに日付を入れてもらうタイプです。
社務所に人がいない場合は、波上宮でもいただけます。御朱印を集めるなら、波上宮より先に天久宮を参拝しましょう。
かわいいお守りもたくさんあります。
あと、1回200円で七福神おみくじを引けます。
トイレ
トイレは社務所からさらに階段を下りたところにありました。鍵がかかっていたので、利用する際は社務所の人に声を掛けましょう。
天久宮を参拝
天久宮はこんな階層になっています。
想像ですが、昔は最下層の泊ユイヤギ御嶽が1階にあたり、丘か大きな岩を登っていく地形だったかもしれません。
では、駐車場から。
御嶽があります。この御嶽を天久宮と勘違いしてしまう人もいるかもしれません。
石碑には、
天帝子御世(てんていしうゆう)
貴布仁御世(きふじんうゆう)
御先巳のみふし(うさきみのみふし)
と刻まれていますが、どういった意味があるのか調べても分かりませんでした。
駐車場の横に下に続く階段があります。この階段を知らないと天久宮にはたどり着けません。
看板に天久宮の由緒が書かれていました。
天久宮が創建されたのは1465~1487年の間とのこと。
天久宮由緒(看板の写し)
お宮の創建は成化年間と伝へられる。(尚圓、尚宣威、尚真王時代 西暦1465ー1487)往古、銘苅村に銘苅の翁子が閑居していた。或るとき、夕陽の没する頃、天久野に威儀を正した法師を従へた気高い女人が山上より下って来るのに出会った。中腹には小洞窟があり、井戸から水が湧き出て流れている。翁子が法師に女人が何人なるかを尋ねると、法師曰く、自分は山の中腹に住んでいるが、女人は山上の森に住む者で名前は分からないと答へた。翁子は不思議に思い気をつけていた。あるとき、女人が洞窟に入る時に、中途で消ゆるを見る。翁子は驚き、事の次第を王の臣下に伝へた。伝へ聞いた時の王は虚実を試さんと役人に命じて、洞窟に向って香を供へたところ、それが自然に燃えたので、外に社殿を造営して祭った。時に神託あり我は熊野権現なり、衆生の利益の為に現はれたり。
かの女人は國家の守護神なり、弁賊天であるとの神託があった。又かの翁子も唯人ならず。
衆生は神変の加護によりて妄念を解くことができようと、神徳を重んじ國家安全、萬民豊楽の基のため、社殿を建立して祭ったといふ。
昭和19年の10.10空襲の折に社殿を消失、戦後は御嶽形式により奉祀。昭和47年旧2月22日本殿を建立、奉鎮祭斎行。本土復帰の昭和47年5月15日宗教法人となる、同日神社本庁に包括され、現在に至り昔の素晴らしい社殿の復興と向後の発展を期せむとす。
※漢数字の部分だけ英数字に書き換えました
階段を半分ほど下りると、社務所と天久宮の本殿があります。
社務所の先、左側に手水舎があります。
天久宮 拝殿と本堂
天久宮の拝殿。見過ごしてしまいそう。
拝殿の前に鳥居はなく、テントが張ってありました。
本殿は拝殿の奥にありますが、私たちが見られるのは拝殿までです。
外観は年季や予算を感じる様相ですが、中は神域らしい厳かな雰囲気です。
弁財天
拝殿から左に進むと、鮮やかな鳥居が目に飛び込んできます。
女神「弁財天」の社。小さな池の中にあり、魚が泳いでいます。狭いスペースの中にしっかりと世界観があり、かわいいです。
躍動感あふれるシーサーに守られ、弁財天が祀られています。
権現堂(ごんげんどう)
弁財天のすぐ隣りにあります。
権現とは、日本の神々は仏や菩薩の仮の姿という意味。「仏教が主、神道が従」という仏教側の思想から生まれた言葉のようです。
もちろん神道側は、「神道が主、仏教が従」という思想なので、神仏分離が行われるまではいろいろと対立があったようです。
そんな背景もあって、権現堂の中には仏像が祀られています。
龍宮神
天久宮拝殿に戻り、横にある階段を上へ。
階段の途中では、天久宮本殿を横から見ることができます。
中央の石碑
「玉筒男神 辨天負泰彦大神 神世三代午方神」
右の石碑
「泊龍宮神 昭和五十二年五月六日」
泊ユイヤギ御嶽・三日月ウカー
社務所まで戻り、さらに下へ。
泊ユイヤギ御嶽
太陽の光が御嶽を照らしています。偶然ですが、神秘的な光景でした。
三日月ウカー
ウカーは井戸という意味らしい。沖縄に限らず、井戸には井戸神(水神)がいると昔からよく聞いていました。御嶽があるのも不思議ではありません。
井戸は蓋がされていて、中を見ることはできませんでした。
天久宮の参拝時間と滞在時間
のんびり観光するタイプのいそぽん家でも、滞在時間は御朱印拝受の時間込みで25分でした。
天久宮のすぐ隣りには別当寺(神仏習合時代に神社を管理するために設置された寺)の「聖現寺(せいげんじ)」があります。時間があれば、併せて参拝されてはいかがでしょうか。
最後に
この旅行記を書いているときに知ったのですが、ずっと昔は隣りにある高校のグランドも天久宮の敷地だったそうです。
だとすると、正面は高校側で、泊ユイヤギ御嶽から上がっていく構造だったかもしれません。先に知っていたら、泊ユイヤギ御嶽から上を見上げたり、昔の痕跡がないか周囲を観察したり、もっと違う楽しみ方があったように思います。
鳥居が建立されたのは平成6年(1994年)。歴史と文明の進化が共存しています。
当記事の作成にあたり、下記サイトも参考にしました
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