琉球八社の一社「金武宮(きんぐう)」を訪れました。金武宮は他の7つの神社と違って社殿がありません。それどころか、「金武宮」という名称自体見られません。
参拝するのは、金武観音寺(きんかんのんじ)、 正式には金峯山観音寺(きんぷせんかんのんじ)にある鍾乳洞です。ここがいわゆる金武宮にあたります。
今回は、琉球八社巡りの金武宮(金武観音寺)の様子や見どころ、御朱印、駐車場の情報を画像と一緒にご紹介します。参拝時間(所要時間)の目安は30分です。
琉球八社
琉球王国(1429~1879年)時代に、王府から特別の扱いを受けた8つの神社の総称。波上宮・沖宮・識名宮・普天間宮・末吉宮・安里八幡宮・天久宮・金武宮からなり、真言宗寺院と併置されている。首座は波上宮。祭神(さいじん)は、安里八幡宮が八幡神、ほかの7社は熊野権現。
金武宮(金武観音寺) | |
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入場料 | 無料 ※日秀洞も無料 |
御朱印 | 300円 |
参拝時間 | 自由 寺務所 不明(9:30-17:00が無難) 鍾乳洞(日秀洞)7:00-16:00 |
定休日 | なし |
住所 | 沖縄県国頭郡金武町金武222 くにがみぐん きんちょう きん |
電話番号 | 098-968-2411 |
公式HP | なし |
駐車場 | あり 無料 19台 ※障害者用スペース1台含む |
所要時間 | 約30分 |
金武宮の御朱印について
冒頭のとおり、金武宮には社殿がありません。神主もおらず、金武宮の御朱印はありません。
御朱印は参拝の証し。記念に残しておきたいものです。そこで、金武観音寺の御朱印を代わりにするのが一般的です。
金武宮・金武観音寺の駐車場
駐車場は約20台分。滞在時間が短い場所なので、満車になることはないと思います。
日曜日11:00頃はこのような状態でした。
周辺の道路は走りやすく、沖縄の観光スポットによくある狭い道はありません。
ナビは観音寺ではなく、観音寺駐車場に設定しましょう。(Googleマップ推奨)
金武観音寺(金峯山観音寺)
右側は「高野山真言宗 金峯山(きんぷせん)」、左側は「観音寺」となっています。金武宮の名はありません。
琉球八社は真言宗の寺院と併置されています。鳥居がないのは金武宮だけで、観音寺が管理しているようです。
10月は木々が青々とし、まるで参道の屋根のようでした。そんな美しい屋根の中では、セミがBGMを奏でるかのように元気に鳴いています。
本堂まで一直線に続く参道。お寺に続く道は上り坂が多いですが、ここは緩やかな下り坂。導かれるように足が前に進みます。
巨大なフクギ
最初の見どころは、参道の左手にそびえ立つ大きなフクギ。
推定樹齢約350年。防風林・防潮林、防火の目的で使われる木で、金武観音寺のフクギは希少な巨木と言われています。
(案内板の内容)
フクギは推定樹齢約350年、胸高円周2.8メートル、樹高12メートルを有し、沖縄本島各地のフクギのなかでも希少な巨木と云われている。常緑の高木で風や潮害に強く、屋敷林として昔から沖縄各地で広く利用された樹種である。観音寺のフクギは幾年代の歳月を積み、強く根を張りどっしりとそびえ立つその樹影に寺社の長い歴史を見守り寺社の景観を創り、町民に愛郷の心を育む先人よりの遺産として親しまれている巨木である。
二体のお地蔵様
フクギから少し先に進むと、二体のお地蔵様。案内がないため推測ですが、子安地蔵と水子地蔵だと思います。
子安地蔵(こやすじぞう)・子育て地蔵
子どもを授かったり、安産を見守ってくれる
水子地蔵
亡くなった子どもを成仏に導いてくれる
本堂
沖縄らしい赤瓦の屋根が特徴的。
大きな作りではないものの、木々に囲まれた参道を抜けたときにドンと現れる姿に威厳を感じました。
横からの様子。
敷地全体が樹木に囲まれた金武観音寺。初めて訪れた観光客でさえ、安らぎを覚える人も多いと聞きます。
幼い頃に遊び場にしていた近所の神社に似た空気感がありました。初めてなのに懐かしい。そんな感じです。
当観音寺は、十六世紀に日秀上人によって創建されたが、現存する観音寺は、昭和十七年に再建されたものであり、建築手法は近世社寺の手法が取り入れられている。
沖縄県下の社寺建築の多くは今次大戦で焼失したが、幸い当観音寺は戦災を免れて今日に至っており、古い建築様式をとどめた貴重な木造建築である。
当観音寺は、昭和五十九年六月一日、有形文化財(建造物)に指定された。
沖縄は戦禍を被った寺社が多く、戦前の姿が残っているのは珍しいそうです。
沖縄戦を耐え抜き、多くの人の支えになり続けた木造の本堂。災難厄除にご利益がありそう。
観音菩薩、阿弥陀如来、薬師如来が祀られています。
ところで、お線香を供える意味ってご存知でしたでしょうか。
お線香は仏様へお参りする時、いい香りをお供えし、おもてなしをする意味があります。
また、自分の身を清めるという意味もあります。
本堂にご用意してありますお香は、白檀や梅の良い香りのお線香です。
(1本または3本が基本です。)
お線香の良い香りを仏さまにお供えし、合唱礼拝。(読経)
本尊 聖観音菩薩 ご真言
「オン アロリキャ ソワカ」
線香を供えることで自分の身も清められる。いいことを知りました。
おみくじは1回20円。5人家族で引いても100円。
近くに米軍基地があるため、日本語と英語で書かれているのがおもしろいです。記念に引いてみるのもよろしいかと。
境内におみくじを結ぶ木もあります。
本堂にお知らせが貼られていました。
お知らせ
テレビ・インターネット等で「子宝観音」という鍾乳石があると報じられたようですが、当山観音寺境内鍾乳洞内にそのような縁起・逸話・信仰されていた鍾乳石は存在しません。
また、観音寺の承諾を得て行われた取材・案内等は一切ございません。
金武観音寺に子宝観音は存在しないとのことです。
金武宮の御朱印は金武観音寺
参道を本堂に向かって歩いているときに、左側に小屋が見えたと思います。御朱印はこちらの小屋でいただけます。
この小屋は、2022年10月時点では仮寺務所となっていたので、いずれは本堂の隣りに建設中の建物に移動するかもしれません。
御朱印の志納金(しのうきん)は300円~です。
御朱印は金武観音寺のものになるので、金武宮参拝前でも構いません。もし誰もいなければ、先に金武宮を参拝しましょう。
この日は書き手の方がいらっしゃったので、手書きをいただきました。書き手が不在の場合は、紙朱印(書き置き)になります。
丁寧に書いてくださるので、5分ほど待ちましょう。
かわいいお守りもありました。
社務所のさらに奥にはトイレがありました。
金武宮(日秀洞・金武権現)
金武宮(正確には金武権現)は入口が小さくて少し見つけにくいです。
場所を調べずに行った人や金武宮という名称が使われていないことを知らずに行くと、境内の中をウロウロすることになります。
金武観音寺の境内をイラストマップにするとこんな位置関係です。
鍾乳洞入口の看板にも「金武宮」という名称は書かれていません。
日秀洞
日秀洞内には、観音寺鎮守「金武権現(熊野三所権現)」と、「水天」がお祀りされております。
日秀洞は観音寺境内地であり、聖地です。
神仏を敬い、礼儀を守り拝観ください。
〇鍾乳石は成長を続けています。自然を大切に守りましょう。
〇沖縄式線香(ヒラウコウ)ウチカビ、酒、米、ビンシーなどの持ち込み禁止です。(マナー違反者が多いため)
〇奥の大広間部分は自然環境保護のため、立ち入りを制限しております。
ご理解ご協力を宜しくお願いいたします。
金峯山 観音寺住職
日秀洞は鍾乳洞です。洞窟内に入ります。
以前は入場料が必要だったようですが、現在は無料です。
鍾乳洞自体がご神体と考えられるので、階段を下りられない場合は、ここで参拝するのもいいと思います。
急な階段で、幅や高さは不規則。
先にお参りされている方がいらっしゃいました。地元の方のようで、丁寧にお参りされています。文化を継承する大事な方々なので、邪魔をしてはいけません。先に別の場所を見ることにしました。
突然の布袋様
ふと横を見ると、
満面の笑みを浮かべる布袋尊。いろいろと勇気づけられます。
布袋尊のご利益は無病息災と商売繁盛。
階段はさらに下へ。日秀洞は見学できる範囲こそ狭いですが、見応えある鍾乳石がギュッと詰まっています。
通路はライトで照らされていました。
画像は明るさを調整して見やすくしています
大仏天蓋(だいぶつてんがい)
鍾乳石がここまで成長するのには何千年とかかります。もしかしたら「万」いっているかもしれません。
天蓋
第2次石灰岩石灰華の中の幕状のもので仏像に差しかける笠を表わしている。
下から上に伸びる鍾乳石(石筍 せきじゅん)もあるし、石柱もあります。
- 石筍 石灰質を含んだ水が落ちて固まり積もって、たけのこ状になったもの
- 石柱 つらら状の鍾乳石と石筍が繋がった状態
水天(すいてん)
水天
仏法を守護し、水界を司る竜族の王とされています。人々の煩悩を洗い清めて、菩提心を目覚めさせてくださいます。金峯山 観音寺
金銀の滝
金銀の滝
第2次石灰岩滝状石灰華の代表的傑作である。
金と銀のコントラストが見事です。
CAVE OKINAWAにも紅白岩という同じような色をした鍾乳石がありました。
十六羅漢像と菩薩昇天図
十六羅漢像、菩薩昇天図
第2次石灰岩石筍の中の竹の子形に属し、16人の羅漢と菩薩が昇天するさまを画いた菩薩昇天図である。
十六羅漢像、菩薩昇天図の見方はよく分からず。想像力の乏しさが悔しい。でも、複雑な鍾乳石が集中しているのは大変おもしろかったです。
行き止まり 全体は見学できない
日秀洞の全長は約270mあるそうです。でも、自然環境保護のため、途中までしか見れません。
以前はこの先も見れたようで、奥には大広間があるそうです。
下から上を見上げると、外の明かりがきれいでした。
階段も照明もなかった時代、ここから見える景色はさぞ神秘的だったでしょう。
日秀洞内は1年を通じて18℃くらいで安定していて、夏は涼しく、冬は暖かくて快適です。
金武権現
外から階段を下りて最初に目にする石の祠です。
当山鎮守 金武権現
高野山で修業を積んだ日秀上人は、熊野から観音様が住むと言われる浄土を目指して小舟に乗り、金武の富蔵津(現在の副花)に漂着しました。
金武に補陀洛浄土を観じた日秀上人は、この土地にお寺を建て、(観音菩薩、阿弥陀如来、薬師如来)を彫って泰安しました。
同じ頃、この鍾乳洞内に熊野三所権現を勧請し、金武権現宮を建立しました。
仏教の(観音菩薩、阿弥陀如来、薬師如来)を本地とした熊野三所権現(事解男尊 伊奘冊尊 速玉男尊)が合祀されております。
明治時代の神仏分離令発令後も、観音寺と金武権現は一体とみなされ、現在も神仏習合の姿を残しております。
当山鎮守として観音寺を護り、多くの人々の信仰を集めております。
金峯山 補陀洛院 観音寺
私なりの解釈は、
遙か南にあると言われる仏や観音菩薩が住む国を目指し、熊野から船を出した日秀上人。生還することを考えない捨て身の修行でしたが、金武の富花津に漂流し、住民に助けられることに。目的とした地ではなかったものの、金武の地に観音菩薩の存在を感じ、金武観音寺を建立し、布教活動を開始。同時に鍾乳洞内に仏様を護る金武権現宮を建立した。
ここにも金武宮という名称はなく、正式には金武権現宮であること、鍾乳洞自体がご神体であることが伺えます。
最後に
琉球八社は真言宗の寺院とセットになっていますが、中でも金武観音寺と金武宮は神仏習合時代の状況が色濃く残っている地だと思います。
他の七社においては、近くても神社と寺院が明確に分かれていますが、ここは今も一体です。
琉球八社巡りで訪れるなら、難しいことは考えず
- 金武観音寺を参拝
- 日秀洞で金武権現を参拝
- 御朱印をもらう
この3つを押さえておきましょう。
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