タイトな観光スケジュールで、大和井〈ヤマトガー〉に到着したのは17時20分(11月)。明るい時間の方が良いとは分かっていても、「言うても井戸やし」という少しナメた気持ちもありました。
で、実際に訪れた感想は
「雰囲気がすごくいい。遺跡が好物な人には涎〈よだれ〉もの」
これから行く人に伝えたいこと
「明るい時間に、虫よけ対策をして行くべし」
そんな明るくも暗くもない、夕方の大和井です。
大和井の見どころ
- 緑に囲まれた庭園のような空間
- 美しい石積み
- 拝所から見る大和井
- 井戸から出るときの陽光
- 身分格差まる出しの2つの井戸
ナマで大和井を見たい

大和井を見たいと思った理由は2つあります。
- 国の史跡に指定されている(国指定史跡)
- 写真を見て「なんだこれ?」と思った
「国指定」というフレーズに弱い。「限定」よりも好物。
もう1つの理由は、何かで見た写真に好奇心を掻き立てられたから。城壁のように石積みされていて、井戸だとは到底思えない様相。歴史の知識はなく、これから深く調べるつもりもないけど、「これは生で見ておきたい」という衝動に駆られました。

宮古島には大きな河川がなく、水はけが良過ぎる地質(琉球石灰岩)のため、生活用水の確保が課題だったそうです。そこで人々が頼りとしたのが、地中奥深くに溜まった地下水。その地下水の一部が断層付近や海岸の崖下から湧き出しているのを見つけ、井戸を作り、生活用水を確保していました。そんな背景もあり、井戸をベースに集落ができていったそうです。
当時、井戸に水を汲みに行くのは女性や子供の仕事でした。大和井は歩きやすい方ですが、落石があるような崖下の井戸に頼っていた地域もあります。伊良部島東部の『サバウツガー』(地図)と宮古島南部の『ムイガー』(地図)は落石のため立入禁止になっていました。(2025年11月訪問時)
そんな苦労を想像しながら見学すると、現代の当たり前に使える水道がとても有難く感じられます。
ブトゥラガー

盛加越公園〈もりかごしこうえん〉から10分ほど歩くと、大和井と彫られた石碑が見えます。ここが入口。中に入るには短い石段を下ります。
石段を下りると、右に向かって大和井へと誘導する飛石が打たれていました。逆の左側にはぽっかりと口を開けた洞窟があります。この洞窟も井戸の1つで、名前はブトゥラガー(ぶとら井)。大和井とともに国指定史跡『大和井』に指定されています。

ブトゥラガーと大和井は明確に使い分けされていました。ブトゥラガーは一般の人々が使う井戸、大和井は首里王府や薩摩藩から派遣された役人など一部の者だけが使える井戸だったそうです。この2つの井戸は、作り込みの度合が天と地ほど違い、それは入口を見るだけでも分かります。身分格差。
ブトゥラガー(庶民用)の入口↓

大和井(上級役人用)の入口↓

まずは入口に近いブトゥラガーから。
※明るさを調整しています

まんま洞窟で簡素な入口。伸びたガジュマルの根が暖簾になりかけてます。いつか崩壊しないか心配。
この洞窟に入るには、少しの準備と注意力、そして勇気が必要です。
中は暗いので最低でもスマホのライト(これでも暗い)は使えるようにしておきましょう。石段の角がすり減って滑りやすいため、慎重に上り下りしないといけません。特に濡れているときは危険。不安に思ったら入口だけ見て引き返す勇気も必要です。

入口の方角的に、もしかしたら午前中は少し太陽の光が入るかもしれません。でないと水を汲めない。僕たちが訪れた夕方は真っ暗でした。

暗くて視認できなかったですが、宮古島の湧水は自然の力で濾過されているので、透明度は高いと思います。近くで見たときは、水底に沈んでいる石がくっきり見えました。水道が普及した今でも神聖な場所に変わりないので、手は入れずに見るだけにしました。


大和井
ブトゥラガーから大和井まで約50m。道の案内人は飛石。
※大和井の画像も明るさを調整しています

大和井の案内板
宮古の人びとは、戦後水道が普及するまで、うりがー(洞井)を中心に集落をつくり、暮らしをたててきた。うりがーは、一般に上り下りの通路に石段を設けるていどで、多くは自然のまま利用していた。なかで大和井のみは、全般にわたって人工がほどこされている。下部に大石をすえ、上部になるにつれて小石にかわる。切り石を円形に積みあげた構造、規模ともに県内では他に類をみない。
水量はゆたかで、日でりにもかれることはなかったが、伝承によれば、在番役人や頭など、ごく一部の上層役人だけが占用し、庶民には開放されなかったという。門扉を用いたと思われる跡を止どめ、水守りのいたことを裏づけている。
築造年代は不明だが、宮古島旧記の記述から1720年ごろと推定される。
『大和井』と名付けられた理由は
- 薩摩から派遣された役人が使う井戸だったから
- 大和人が井戸の構築に携わったから
等と考えられています。

入口を見ただけで分かるブトゥラガーとの差。石段は広さに余裕があり、さらにL字型(クランク)に作ってありました。上の方で滑っても下まで転がっていくことはないし、傾斜も緩くなります。


こんなに手が込んでいるにもかかわらず、水汲み場はほんのちょっとでした。そんなアンバランスもおもしろい。

大和井で目を引くのはやっぱり石壁。下の方には大きな石を積み、上に行くほど小さな石を積み上げ、その高さは6メートル余りあるそうです。円形になっていて、曲線の滑らかさは見事でした。

陽の光が多い日中に遺跡の中から見上げると、木漏れ日が石壁を照らして写真映えしそう。夕方は暗くてイマイチでした。残念。


もう1か所撮影スポットを紹介します。それは、井戸に下りる階段の手前にある右に逸れる小道。小道を少し進むと拝所があり、大和井を斜め上から眺められます。その光景を見た瞬間、国の史跡に指定されるのは当然のことだと感じました。


さらに上へと続く石段が2つありましたが、先は行き止まりでした。

大和井は以上です。
夕方は「遺跡が暗くて見えにくい」のが最大のデメリットでした。明るい時間にもっと隅々まで見たかったなぁと思います。
でも悪いことばかりでもないので、スケジュールが調整できなくてもがっかりすることはありません。観光客がいなくて静かだったし、薄暗い遺跡からは不思議な哀愁を感じることもできますよ。
不必要な整備はされておらず、当時の様子を想像しながら見学できたのも良かったです。
ウプカー〈大川〉
大和井を出て前の道路を渡ったところにもう1つ井戸があります。ウプカー〈大川〉と呼ばれ、牛馬専用で使われた極めて稀な井戸です。掘られた時期は不明ですが、1717年に補修工事が行われた記録が残っています。
ただ、石碑のある場所からは、ほとんどウプカーを見ることができませんでした。ウプカーに生えている木々の葉が視界を遮っているからです。中に入れそうな場所はありますが、私有地かもしれないので諦めました。

石碑の案内文
市指定史跡「大川(ウプカー)」
指定年月日 平成17(2005)年5月30日
掘削年代は明らかでないが、『雍正旧記』(1727年)に「大川掘年数不相知暦代二成及大破候、康熙五拾六丁酉年修補牛馬之用水所」と記述されており、康熙56(1717)年に補修工事がなされていることから、18世紀初頭にはすでに大川が存在していたことがうかがわれる。当時の人々の暮らしにとって、牛馬は重要な労働力であった。数多く存在する井泉のなかで、牛馬専用を目的としたものは極めて稀である。
戦後、水道の普及や牛馬飼育の激減により、大川を利用することがなくなり何時しか土砂に埋もれてしまった大川を、2004(平成16)年10月、文化財総合整備事業の一環として発掘し、約50年ぶりに全体の様相を市民へ伝える事が出来るようになった。

大和井とウプカーの間にある街路樹『トックリキワタ』

施設情報
| 営業時間 | 24時間 |
| 定休日 | なし |
| 住所 | 沖縄県宮古島市平良西仲宗根382(地図) |
| 電話番号 | なし |
| 入場料 | 無料 |
| トイレ | なし |
| 駐車場 | なし |
| 売店 | なし |
| 公式HP | 宮古島市役所 【国指定:史跡】大和井 |
| 備考 | 明かりがない 石段が滑りやすい 虫よけ対策推奨 |
滞在時間
ブトゥラガーと大和井の中を見て15分でした。15~20分を目安にすればいいと思います。
駐車場
専用駐車場はありません。盛加越公園〈もりかごしこうえん〉の駐車場から徒歩10分くらいでした。
車をとめたまま周辺を散策するなら、宮古神社の近くのコインパーキングを利用するのもあり。宮古神社、漲水御嶽、豊見親の墓が近くにあり、大和井までは徒歩15分ほどです。
近隣の歴史スポット
盛加井(記事作成前)
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Article author いそぽん
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