知念城(グスク)跡へ。
案内板や最低限の通路の整備はされているものの、積極的に観光客を集めようとしているスポットではない感じ。ひっそり残る聖域です。
今は崩落の激しいグスク。往時は権力者が居城する立派なグスクだったはず。
訪れたときは草がボーボーで、まさに栄枯盛衰を見て感じられる場所でした。
今回はそんな知念城跡の旅行記です。
近くにあるウファカルや知念按司の様子と移動時間も併せて紹介していきます。
雨の日、雨上がりは避けた方がいいスポットです
施設情報
知念城跡 基本情報 | |
---|---|
定休日 | なし |
入場料金 | 無料 |
営業時間 | 24時間 |
トイレ | なし |
駐車場 | 約10台 区切りなし |
住所 | 〒901-1501 沖縄県南城市知念知念 上田原 |
電話番号 | 南城市役所 文化課 098-917-5374 |
公式HP | www.city.nanjo.okinawa.jp |
備考 | 虫よけスプレー必要 長ズボン推奨 |
知念城跡の行き方と駐車場
車で行く
ナビの目的地は『知念城跡駐車場』。
ナビのバージョンにもよりますが、レンタカーのナビよりGoogleマップのナビの方が良かったです。
南風原南[はえばるみなみ] インターで下り、車で30分~40分。
国道331号線から知念バス停横の道に入り、3分くらい走ると知念城跡駐車場に着きます。
恩納村からだと高速道路を使って60分くらいでした
直前の約3分間は道幅が狭いですが、それまでは普通の道です。
直前の3分間
駐車場
区切りの線はなく、10台くらい駐められます。
観光客が押し寄せる場所ではないので、まず駐められると思います。11時くらいで3台駐車していました。
バスで行く
バスで行くなら久美山バス停か知念バス停で下車。
知念大川から巡るなら久美山、ノロ屋敷跡から巡るなら知念が便利です。
『ノロ屋敷』『知念城跡』『知念按司の墓』へ
知念城跡は整備の途中で、現地で昔の姿を想像するのは難しいです。
いそぽん家が訪れたときは草がボーボーで、全体像のイメージなんて無理でした。
なので、知念城跡に行く前に見ておけばよかった俯瞰図をご紹介します。
現在の知念城跡は、城壁が崩れていたり、木々が生い茂っていたりで、この俯瞰図と様相が違います。
現在の古城はうっそうとした森に覆われ、存在を知らないと気づけません。
そんな状態でも、昔のイメージが頭にあれば、どこに目を向ければいいかが分かります。
この記事を書いているときに初めて古城の存在を知った…
存在を知っていたとしても、古城は森のようになっていて足を踏み入れることはできなかったと思います。
それでも、小さな痕跡を探す楽しみがあったかもしれない。そう思うと悔やまれます。
そんな想いを胸に、知念城跡の旅行記へ。
知念城跡の入口は駐車場の反対側。
入口すぐのところに知念城跡の案内板があります。案内の上になぜか地図のようなものが描かれていました。敢えてこうしているのか、落書きなのか…。
知念城跡 国指定史跡
知念城跡は、ミーグスク (新城)とクーグスク (古城) とよばれる二つの郭からできています。クーグスクは古い野面積みで囲まれ、一番高い岩山の上に立地しています。ミーグスクは、二つの門と石垣で囲まれた郭です。正門を入ると、「火の神」が祀られている小さな祠がみえ、さらにその奥には「友利御嶽[ともりうたき] 」があります。友利とは、「名高く尊い」という意味があります。
知念城跡内には、1761年から1903年に至るまでの間、 知念番所[ちねんばんじょ] (間切の役所)が置かれました。現在の火の神は、番所が移動した後に地域の人々が祠をつくり、祀ったものです。
この御嶽や火の神には、地元だけでなく県内全域からの参拝客も多く訪れ、東御廻り[アガリウマーイ] の拝所となっています。
知念城跡では、現在史跡整備事業を進めており、それに伴う調査で18世紀を中心とした様々な資料が確認されています。
この案内を読んでいれば古城の存在に気づけたのですが、読みにくくてスルーしていました。
案内板の横には知念ガイドマップがあります。
知念の歴史と文化
知念グスクのふもとにある集落です。琉球王国時代は聞得大君[きこえおおきみ] の知行地であり、今もグスクは東御廻り[あがりうまーい] の巡礼地になっています。『球陽』によると、玉城[たまぐすく] と並び稲作発祥の地とされています。
歴史文献をみると、『絵図郷村帳』に「知念村」「はたま村」と記されています。『琉球国由来記』には知念に、知念ノロと波田真[はだま] ノロ、二人のノロがいたことが記録されています。これらのことから元々は二つの集落だったと考えられます。なお、「はたま村」は「平仲[ひらなか] 」(平中とも表記される)と呼ばれる地域に移動したようです。
集約内には、火の神の祠や井泉、簡易水道跡が多数存在し、文化遺産と日々の暮らしが密接につながっていた時代の精神が今も脈々と生きている地域といえます。
急な下り坂。帰りがキツイやつ。
晴れていて良かったです。
ノロ屋敷跡
ノロは女性の祭祀・神官のこと。
神と交信したり、自身に憑依させたりすることができると言われています。
朽ち果てた木の杭。
『ノロ屋敷跡』と書かれています。
建物は崩壊していますが、基礎が残っていました。
奥にある拝所や敷地の左右に残る階段から想像すると、家は小さかったように思います。
拝所。
今も使われているっぽいです。
落ち葉はあるものの、屋敷の敷地内は手入れされています。
外観を見て抱いた印象とは違いました。
このとき、ツアーガイド同伴で少人数のグループが来ましたが、屋敷跡に入らず知念城跡に歩いて行きました。
気軽に入ってはいけない聖域だったのかもしれません。
知念城跡
琉球石灰岩で築かれた城壁。
沖縄のグスク(城)は、どこに行ってもこの曲線美に目を奪われます。
史跡 知念城跡
昭和47年5月15日 国指定
この城は、二つの部分からなっています。一つは東南部の古城で、高所に1~2メートルの野面積みの石垣で囲まれ、内部はうっそうとした森となっています。ここは「おもろさうし」に「ちゑねんもりぐすく」と謡われた霊場です。この古城の西方に高さ3メートルの切石積の城壁をめぐらした新城が連なります。城壁の東に正門、北に裏門とアーチ形の城門をひらき、郭内には、沖縄の開闢[かいびゃく] 伝説で名高い久高島の遙拝所があります。
この新城は尚真王の異母兄弟にあたる内間大親が築いたといわれていますが、真偽は不明です。知念城は古くは代々の知念按司の居城でもあったと思われますが、それがたんなる城郭ではなく、「あまみきょ」の伝説と尚真王の権威とが結びついたいわば宗教的城という意味で重要です。
沖縄県教育委員会 昭和53年3月31日
※開闢…天と地の始まり
新城(ミーグスク)の正門。
権力者だった知念按司[あじ、あず、あんじ] の居城だったそうです。
木の枠は補強用。
正門から中に入ると、沖縄独特のヒンプン(画像左)が目の前に。
ヒンプンは目隠しや魔物除けの役割があります。
荒れ放題。
この写真が一生残る。
雑草が伸びていないときに来れれば良かったけど、これはこれで栄枯盛衰を感じられて良かったと思ふ。
奥にあるのは裏門。
裏門のとなりには焚字炉[フンジロー、フンジルー] 。
文字を書いた不要紙を焼いて供養するための炉で、中国の文字を敬重する思想から生まれたようです。
焚字炉の横には、草に隠れたスロープがありました。
城壁に上るために設置されたようですが、現在の城壁は崩れやすいため上ってはいけません。
史跡を壊したら大変
足元を見て歩かないと危ないです。
小さな石橋の両隣に溝があります。草で隠れていました。
気づかずに足を突っ込んでいたら、捻挫ではすまないかもしれません。
右側にあるプレハブのような建物は、案内板に書かれていた『火の神を祀る祠』の場所らしいです。
工事関係の小屋かと思って近づきもしませんでした。無念。
舗装された道に立っていますが、ここも新城の中です。
城壁が崩壊しているため、城の外にいるような錯覚に陥ります。
先に進めば、久高島の遙拝所『友利御嶽[ともりうたき] 』があり、崖の上から海を一望できるはずですが、雑草が伸びすぎていて進めませんでした。
長ズボンで来ればよかった
ウファカルと知念按司の墓
裏門近くまで戻り、今度はウファカルと知念按司の墓に向かいます。
ウファカルから知念按司の墓に向かう道はやや険しいです。
途中、薄暗い木々の中に石段を見つけました。
先の様子を窺いながら、恐る恐る進みます。怖がっているのが姿勢に出てます。
ハブ警戒中
ここは古屋敷跡だったようです。
奥には拝所がありました。
ガサッと音がするたびにビクッとなるので、お参りだけして早々に退散。
元の道に戻って進むと、分かれ道になっていました。
見逃しそうな分かれ道
知念城跡の裏門から歩いて5分ほどの場所。
ボーっと歩いていると見逃しそうな分かれ道です。
左の道は下り坂になっていて知念大川[ちねんうっかー] 行き 、右は上りでウファカルと知念按司の墓方面です。
案内標識がめちゃ小さい。
このときは、左の道が知念大川行きと知らなかったので、ウファカル・知念按司の墓方面に進みました。
ちなみに、知念大川はこんなところです。
参考サイト
南城市 知念大川(ちねんうっかー)
では知念按司の墓を目指して進みます。
石が埋まっていて、落ち葉も多い。
濡れていると滑りそうな道です。
ウファカル
先がどうなっているか分からない不安を抱きつつ、分かれ道から歩くこと1分ちょっと。
急に安心。
視界が開けて、あきらかに人の手で管理されている風景。
横には小さな田んぼがあり、農作物を栽培しているようです。
この一帯だけ奇妙に鮮やかでした。
細い水路の上に架かった小さな橋は、飾り気もなく無機質なのに、かわいく見えます。
地元の人が田んぼで農作業をされているので、騒がないようにしましょう。
地元の人がいるとホッとします
小さな橋を渡って先に進むとウファカルです。
ウファカル
知念大川の後背地にあり、玉城の『受水・走水』とともに稲作発祥地と伝えられている場所です。1713年に成立した『琉球国由来記』(各地の資料を整理・編集した地誌)には、ニライカナイからアマミク神が稲の種子を持って来たと記されています。
ウファカルは知念城跡に近く、往時の水源地としても重要な場所でした。
数十年前まで辺り一面に水田が広がっており、知念城跡に関する祭祀場としても大切な場所です。崖の中腹には『知念按司の墓』、その周辺には古屋敷跡も残っています。
~案内板より~
沖縄の稲作始まりの地であり、往時の貴重な水源地。
ウファカルはある一点を指すのではなく、このあたり一帯を指す言葉のようです。
清らかな水のおかげでしょうか。
植物の瑞々しさが目に眩しいです。
田畑を耕すだけなら、もうこの地じゃなくてもいいはずですが、祖先が開拓した土地や水を大事に守ってくれている人がいる。
のどかな風景の中に昔から変わらない姿もあって、少しだけタイムスリップしたような気分になりました。
知念按司の墓
『この奥→』と書いてくれてあるので方角は間違いない。でも、遠いのか近いのか分からないのが不安でした。
足場が良くないのもひと目で分かります。
ここから知念按司の墓まで約3分です。
けもの道をひたすら登ります。
進むべき道は直感で分かります。
ただ、斜面に太い木の根が張り、足元から目が離せません。
必要以上に地面を凝視しています。
落ち葉で覆われた斜面は特に緊張しました。
ゆっくり歩けばそこまで悪い道ではないですが、ここみたいに勢いで登らざるをえない場所もあります。
前に進みながらずっと考えていました。
「帰りはもっと怖いやん」
ゴールまでの距離が分からないので、このまま進んでいいのか、引き返した方がいいのか不安は増すばかり。
「あと少しだけ、あと少しだけ」とつぶやきながら前へ。
ふいに到着しました
足場の悪い地面ばかりを見ながら登っていると、ふいに倒れた看板が目に入りました。
南城市指定・史跡
知念按司の墓
知念城跡の北西、標高百十mの琉球石灰岩断崖斜面に位置する。地元では按司墓と呼ばれ、知念を治めた按司とその家族の墓と伝えられる。墓の前庭部と階段は成形され、墓口には一枚の楯をのせ、石積みで閉じている。
~案内板より~
着いたー
距離は分かりませんが、歩いた時間は3分です。
ずっと不安だったので体感は10分でした。
木々が生い茂った崖の中腹にある知念按司の墓。
自然の石でふさがれた墓の入口は不気味です。
同時に昔の人の想いも感じられ、いい意味でゾクッとしました。
今は木で視界が遮られていますが、昔はここから沖縄の海を見渡せたのかもしれません。
こちらのお墓は今も子孫の方々に守られているそうです。
帰りは足場の悪い下り坂。
ゆっくり慎重に下りてきました。
緊張しっぱなしで、すぐ筋肉痛になりましたよ
知念城跡まとめ
記憶に強く残ったのは、知念按司の墓でした。
道が険しかったというのもありますが、不気味な中に温かみを感じたのが1番の理由です。
知念城跡の記憶はやっぱり雑草w
不満ってわけではなくて、あの雰囲気もなかなかおもしろかったです。
そもそも入場料も取ってないし、ご時勢的に人手が足らないのもあるだろうし、予算もかかるだろうし。みんな頑張ってます。
知念城跡に行くなら、
斎場御嶽[せいふぁうたき]
↓
知念岬公園
↓
ニライカナイ橋
↓
知念城跡
というルートがおすすめです。
この場合は、知念城跡駐車場に北から向かうことになります。
それぞれの旅行記も書きたいけど、時間がない…。
駐車場から見える海はきれいです。
虫よけスプレーしてたのに、足だけで5か所も蚊にやられましたよ
いそぽん(@isopon11)でした。
マハロ♪
知念城跡から車で30分の観光スポット
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